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正義のみかたん(正義を取り戻す100のこと)

管理人まぁ(男)が普段正義について考えていることを様々な視点から書いていきます。一つ一つの記事は割と単純にみえますが、若干立ち止まるところもあるかと思います(いくつかのポイントは他記事で深く掘り下げていきます)。いずれそれぞれの記事が繋がり全体像が見えてくるような作りにできればと考えております。行間を想像しながら読んでいただけますと理解が深まるかと思います。サクッと読めて、ジワリと響く。そんなブログを目指します。

監視

子供たちはもっと喧嘩をすれば良いと思う。

もっと遊び、もっと笑い、もっと自由であれば良いと思う。

まずは喜怒哀楽の感情を育て、心を鍛え、周りとの関係性を育てれば良いと思う。

子供たちには鼻水が風になびくほど猛ダッシュしてほしい。最近、子供たちが猛ダッシュしている姿を見かけない。

俺は子供の頃、よく猛ダッシュした。理由は、よく分からない。鼻水が風になびくほど。

皆が同じである必要はない。

足が速い子がいれば、音楽が好きな子もいる。勉強が得意な子もいれば、図工が好きな子もいる。

お調子者もいれば、いじられ役の子もいる。

違いがあって良いし、得意不得意があって良い。

 

過保護が過ぎているように感じられる。

徒競走で手を繋いで同時にゴールするというのはやはりおかしい。

勝って人気者になることも、負けて悔しい思いをすることも良い経験である。

学芸会で皆が主役というのはどうしたって不自然である。

たとえ『木』役でも、悪意がない限り、良いんじゃないか(そういう役があればの話ではあるが)。そんな損な役割を担う子も愛されるべき存在である。

先生が親の顔色を窺う教育というのは健全だとは思われない。

先生もいろいろいて良いと思う。

PTAを交代で強制加入されるという話も以前どこかで聞いた。

賛成できない。

過度に関わりを持とうとする必要はないのではないか。

それはいずれ監視にかわり、子供たちののびのびした成長を妨げかねないと恐れる。子供たちの耐性がつかなくなることを恐れる。

例えば子供たちの喧嘩が気になりだす。そのうち許せなくなる。周りの声がその気持ちを増徴させる。

しかし、大したことではないことがほとんどであろう。

いや、仮に問題があったとしても自然な流れの中で、環境の中で、関係性の中で収まりがつく状況へと導かれることも多いし、そのことが重要だと思う。

必要があれば先生が手助けすれば良い。

問題なのはそうした役割を担わされる親たちの心の変化である。

そちらの方が遥かに危険であると俺は考える。

大きな使命感を抱き、目を光らせ、問題の芽を一つ一つ潰していこうなどと考えない方が良い。

個人としてみれば、そういう(PTA的な)人がいても別に構わないと思うが、広く組織だつことに危機感を覚えるのである。

いつか正義を履き違えるようになること、視野が狭まり、想像力や感性が麻痺することこそが問題なのである。

考える機会にしてもらえればと思い書いておきます。