ベタな昭和のウルトラマン
最近、昭和のウルトラマンのオープニングテーマを聴く機会があった。
子供の頃慣れ親しんだウルトラマンは現在社会の中枢で活躍されている昭和(30年代~50年代)生まれの多くの人達のヒーローであり、その主題歌は心に残っている人も多いのではないか。
で、久しぶりに聴いてみたのだが、あまりにベタなのである。ベタベタな正義。
すごいヒーロー感。
真っ直ぐで、迷いなく、純粋で。
それが何故かカッコイイ。
ダサくもカッコイイ昭和のヒーローたちがそこにはいた。誰もが自分のことよりも相手を思いやるウルトラ兄弟たち。
ああ、そうだったな。忘れてたな。
僕らの中には、かつてヒーローがいて、どんなにピンチなときでも、地球が危機に陥っても、ヒーローがやってきて、傷つきながらも、最後には地球を救う。
いつかは自分もそんなヒーローのような存在になりたい。そう思ったかつての子供たちは沢山いたはずである。
テレビにはそういう力があった。真っ直ぐに作る。愛情をいっぱい注ぎこむ。徹底的にこだわる。
あの時代に生きた人たちはヤンチャな人も、根っこの部分ではそんなに悪くない人が多いように思う。
忘れていたウルトラ兄弟の歌。セブンやタロウは覚えていたが実際に聴くと心が熱くなった。
タロウもエースもジャックもセブンもウルトラマンもゾフィーも、どれもこれもカッコイイ。
詞が良い。曲が良い。歌が良い。合唱団が良い。音が良い。
曲を聴きながらも、新たな記憶が甦る。
むかしむかしおじいちゃんにウルトラ兄弟のソフビ人形を買ってもらったこと。
何が欲しいか聞かれて即答したことを覚えている。ちなみに俺は普段は相当遠慮する方である。
右手にタロウを、左手にセブンを握り締め空を飛び、一通り満足したら首を傾げながらもそそくさと箱にしまう。そんな日々がついこの間のことのようにも感じられる。
心が自然に盛り上がる。熱くなる。優しくなる。
今の目で見れば、ケチをつけることはいくらでもできる。ツッコミどころも結構ある。時代に照らし合わせたときに寄せられる批判は眼にせずとも想像できる。
単純に図式化された正義と悪という構図は、対立や偏りを生み出すものではなく、暴力を助長するものではもちろんなく、全体としてプラスに働くことの方がずっと多いように思う。正義や愛情の心を育むことが大切なんだと思う。まず、敵は架空の存在であり、地球人ではない。
勢いを付けると言う意味でも、その熱量が一番大きくなるのは結局はベタなんだと思う。そうした土台があって、斜めから見る、または偽悪的な振る舞いをする行為が生きてくる。今は逆転してしまっている。偽悪ですらなくなっている人が増えている。それは打算的でもあり、諦念にも通ずるものでもあり、悪意そのものであることも多い(【深堀りポイント1】※いずれ他記事でもう少し掘り下げます)。
正義の感覚は心の底の方では人によりそんなに大きな違いはないのではないか。
真っ直ぐあることが何か恥ずかしいことであるかのごとく思われがちな昨今、俺自身そう感じることもあるのではあるが、ベタに作りこむテレビ番組がもっとあっても良いんじゃないか、と思う。
忘れていた何かを思い出すかもしれないから。